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漆塗りヘルメット誕生秘話

第二章 『希望』

崖っぷちの挑戦

当時、景気低迷の影響で私のところも例外ではなく、取引先の百貨店の催事中止などが重なり、転職も考えはじめていました。でも、派遣切りなどのニュースを見て、どうしたらよいか本当に悩んでいました。人材派遣の面接、ハローワークで求人情報誌をもらい、家族に内緒で見ていました。

そんな時の漆塗ヘルメット構想だったので、自分に『まだ終わっていない、まだ何もやっていない、これに挑戦して失敗したら、その時もう一度考えよう』と言い聞かせながら作り始めたのです。試作品が完成したことを、野寺選手にメールで報告。『大阪阿倍野のHOOPでA-STYLE×ダホンのイベントに参加します』と、連絡を頂き、そこでお見せすることに。


マスキング作業

実は、その2ヶ月前にサイクルモード大阪で、製作途中のものはお見せしていたのですが、完成品を見ていただくのは、この時点で初めてのことでした。

まず、野寺さんにお会いする前に栗村コーチに会い(奥さんが大ファンなので)、実物を見ていただき、「ただ塗っただけじゃないんですね」と、私にしてみれば当たり前の仕事をしていったのだが、それが良かったのでしょう。大変喜んでいただけました。

すぐ後に、野寺さんにお会いする。「格好いい、渋すぎる」と感激していただき、野寺さんのサンプルモストロを預かることに。私が「野寺さん、好きな模様があったら言ってください。デザインしますから」とその時は言ったのですが、私の中では『トンボしかない』と決めていました。トンボには、前にしか進まないことから『勝ち虫』『常勝』の意味があり、古来から好まれていることを伝えると、野寺さんも喜んでいただけました。

商品化への欲求


一回目の下塗り

輪島に帰り制作に取りかかったのですが、私の私物のヘルメットと違い、『モストロ』は大変でした。塗装する以外の部分に漆をつけないようにするため、マスキングをするのですがモストロの細かさに悪戦苦闘。ほぼ2日かかりました。塗り始めればそこは専門なので、スムーズに進むのですが・・・・。

製作をしていると、だんだんと欲が出てきました。商品化したい!!自分にしか出来ない漆塗りはこれだ、と。でもただ作って売るのでは、意味が無い!!そこで、図々しいと思いつつも野寺さんにまたまたメール。『OGKKABUTO様の担当の方を紹介してください』と。

シマノレーシング今西監督のご協力もあり、担当のかたを紹介していただきました。何とか熱意を伝えようと『戦国武将の兜には漆が塗られていた』ことや、『漆塗ヘルメットはKABUTOの名前を使っている OGKしか考えられない』ことを話し、そのおかげで非常に興味を持っていただけたようで『前向きにご検討させていただきます』と返事をいただけたのです。もう、頭の中は一杯でした。『いつかツールドフランスも夢ではない』と(笑)。

天国から地獄へ


上塗り前の状態

ところが、2週間くらいたったある日、担当者から電話が。

『改造を含めた塗装で、安全性の確認が取れないもの、特殊な塗料でヘルメット素材を変形させる恐れのあるものは承認できませんので、申し訳ありませんが今回はお力になれません・・・・・・・・・・・・・・・』目の前が真っ暗になりました。そして、野寺さんのヘルメットも手につかなくなっていくのです。