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漆塗りヘルメット誕生秘話

最終章『完結』

動き出した時間

「安全性の確認が取れました!!」

心が折れそうになる瀬戸際の一本の電話でした。その内容は、あまりにも意表をついた内容で当時の記憶も実はあまり定かではありません。「野寺選手の使用も問題ありません。今度の全日本選手権で使用してもらい、評判を聞いてはどうでしょう?」すぐに野寺さんに連絡を取り、経緯を説明。『今西監督に聞いてみますね。』との事。一本の電話をこんなに心待ちにしたことは、今まで無かったような気がします。そこへ野寺選手からの電話。『シマノ側も問題ありません!!』

『ぬぅぉぉぉー!!』

私は、急いで蒔絵師のところに飛んでいきました。実は、この時点でヘルメットはデザインこそ決まっていたものの何か納得できずに中断していました。残り2週間では正直ギリギリ。同級生の蒔絵師とあれこれ相談していき、ようやくデザインが固まります。当時、野寺選手は日本チャンピオン。ヘルメットにも日の丸を。また山でも強く、山岳賞を取ることもしばしば。そこで1匹のトンボの羽を水玉模様にすることに(もちろん奥様のアイデアです)。


日の丸蜻蛉(中央下)

レース前夜の涙、そして…

一度はあきらめていたレースでの使用、そして商品化も夢ではなくなったのです。しかも舞台は全日本選手権、被るのはチャンピオン。これ以上のお膳立ては有り得ません。本当にあの大舞台で被ってもらえるのか。半信半疑のまま広島入り。すでに、ヘルメットは私たちの手を離れOGK様に委ねられていたため、納品後の状況は全くつかめていませんでした。

レース前夜、宿泊先で奥さんが携帯片手に突然涙を浮かべだしました。「ちょっとこのブログ見て!!」そこには・・・。嬉しかったのも束の間。選手にとっては一年のうちで最も大事にしていると言っても過言ではないレース。いつも以上に神経質になる選手が多いとも言われます。そんな大事なレースで、本当に良いのだろうか・・・ 完全に、ビビリ出しました。

そして、当日。後に聞いた話では、栗村さんのライブブログにも画像が出ていたためかレース会場でも少し話題になっていたそうです。次々と現れるシマノレーシングの選手たち。最後にとうとう漆塗りヘルメットを被った野寺さんが現れました。


日の丸蜻蛉(中央下)

「ありがとうございました。」とようやく出た僕の言葉に「スペシャルペイント、実はあこがれていました!!。自分がそんな選手になれたこと、本当に嬉しく思っています。」なんと謙虚なお言葉を・・・

これが私の生きる道

レースは、直前でアイサン工業の西谷選手が飛び出しそのままゴール。野寺選手は、3位という結果でした。7年連続表彰台というのに、直後お会いしたときに「悔しい!躊躇したっ!」ともすれば重荷にもなりかねないはずのヘルメット。それなのに、野寺選手はヘルメットが一つのモチベーションになったとまで言ってくださいました。色々な方の力、恵まれたタイミング、不思議な縁。すべてに感謝し、大切にするために、はっきりと自分の進む道を見つけた瞬間でした。さあ。これからは、自分の力で努力するのみです・・・

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